第一章 いざ助六へ?

4.勇気ある撤退

 白川林道白巣峠と小俣林道の分岐点に来て愕然とした。数少ない情報を元にした事前調査で、小俣林道の入口には無いハズのゲートがあって、白巣峠への道に有るハズのゲートが無い…のであった。

Tちゃん「ゲートがありますね…」
S藤「あるなあ…」
団長「車じゃ無理だな…」

 ゲートの先には登って行く白川林道から、やや下っている小俣林道へ無理やり上り下りしたであろう、バイクの轍がくっきり残っている。その標高差約2m17cm(目測)。一応、道のようになってはいるが車じゃ到底、無理であるのは明白だ。

S「強行突破します?滝越まで出れば村営バスも…」
団「俺の車を勝手に…(以下省略)」

 とにかく、四角い顔の仁鶴であった。(どんなんじゃ!)

T「どうします?」
団「よお〜し!」
S・T「………!!」(強行突破か?…)
団「勇気ある撤退じゃ!白巣峠へ行くぞ!!」
S「何でじゃ!滝越へ戻らんと峠へ登るんか?」

 団長とTちゃんは峠好きであった。二人ともオフ用バイクにも乗っている。
 ここまでヨレヨレになって走ってきたスーパーインテグラは悲鳴を上げながら急坂を登り、何とか頂上まで辿り着いた。
 木でできた「白巣峠」の看板によじ登りポーズを作る団長とTは、すっかり「加曽利」(㊟1)になっていた。

 結局、助六へ行くことは出来なかった…。しかし…、今回の下見は収穫が多かった。

T「えっ、下見だったんですか!!」
S「そっ、その通り!!」
T「ここまで引っ張って、助六へ行けませんでしたじゃ、読者は納得しませんよ!」
S「誰が助六へ行く…って書いた?」
T「だってタイトルには『いざ助六へ!』って…、あっ、いつの間にか『いざ助六へ?』に変わってる!」

㊟1:加曽利氏を知らない方はGoogleで「峠 加曽利」で検索して下さい

《特別加筆》
 助六不発で消化不良気味のTちゃんの要望にお応えして、冊子用原稿にはない特別編を用意しました。

 白巣峠から滝越に下りた我々は助六で費やす予定の時間を持て余し、事前調査の裏付け作業を行うことにした。まずは三浦ダムへ向かう林道へ入った。しかし、白川線の分岐点を過ぎたところでゲートで閉鎖。通行止め状態で車ではココまでだった。道の感じから通行量は意外と多いように思うのだが…。ゲートの少し先にトンネルが見える。歩いて近づいてみた。

  三浦方面へ通ずるトンネル。

 ゲートから滝越集落に戻った。道の具合が危惧されたが思い切って御岳林道へ向かう。御岳林道は森林鉄道が廃止された後、森林鉄道跡が林道に改良されるまで、王滝から滝越までの生活道路としてバスが走っていた道路だ。森林鉄道とは違い遥か山の上を通る。
 滝越集落の外れに林道入口がある。林道を入ってすぐのところにマニアなら見覚えがあるであろう蘇水寮とよばれていた建物が残っていた。

  既に使用されていないようである。
  ※取り壊されて現存しません

 導入部は舗装道路だった御岳林道はすぐにダートへ変わった。所々荒れた林道は急勾配、カーブの連続でグイグイ高度を稼ぐ。坂を登りきると突然勾配が緩くなる。三浦方面へ続く林道と合流するあたりにバス停跡があり、その待合室として使われていた客車があった。ここは鉄道模型誌「トレイン」の77で紹介されたことがあるのでご存知の方も多いと思う。

  渋さ100%の廃車体。模型誌に掲載されるのも理解できる。
  ※トワイライトゾーンマニュアル14によれば車体は崩壊し残骸だけになっている模様(2005.05.04現在)

 以前、御岳林道沿いに多くの廃車体が存在していたらしいが、今回の調査ではほとんど確認できなかった。このままダラダラとダート道を進み濁川まで来た。濁川は先にも記したように地震で起きた大規模土石流により一変し、濁川線があった頃の痕跡は何ひとつ残っていなかった。元々、路盤がほとんどなく、丸太で組んだ橋の上に敷設された貧弱な線路は流されてしまえば痕跡が残らないのは当然ではあるが、土石流はそれ以上の規模で、たとえ路盤があったとしても痕跡は残らなかったのではないだろうか。崩落した上流部を恐る恐る見ながら濁川を渡り、再び対岸から御岳林道を進んだ。すぐ下流部には濁川温泉があったが、その痕跡も全くない。しばらく森林鉄道関連のモノは見られないまま鈴ヶ沢まで来た。ここは氷ヶ瀬から分岐する支線「鈴ヶ沢線」の終点があったところで、鈴ヶ沢貯木場がある。ここには貨車の倉庫が残っていた。

  窓の中は檜の香りでいっぱいだった。

 他にも大型のE型貨車もあるという情報もあったが発見できたのはこれだけだった。
 舗装道路に変わった林道を下り王滝の集落を経て、最後に松原へ向かった。松原の運動公園の一角に木曽森林鉄道の車両が保存されているからだ。今朝、通った道を再び大鹿方面へ車を進める。大鹿の手前、左手にグランドある。そこが松原運動公園だ。入口の橋を渡ると沢山のレールが保存しているように、きちんと重ねてブルーシートが掛けられている。何かに使う目的でもあるのだろうか?公園の片隅に車両があった。

  写真手前には小屋があり、DLとMCが厳重に保管されていた。

 ここにはクレーン車や大型のB型客車、タンク車など赤沢にはない変り種が多く見ていて楽しい。

 今回のツアーでは助六へ行くことはできなかったが、王滝村の大部分を回り、沢山の情報を得ることができた。これを足がかりに次回は更に奥地へと足を踏み入れる。詳しくは第二章で…!

  

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