第一章 いざ助六へ?

3.作戦決行!題して「2つ作戦!」

 翌朝、やや早起きした我々はまず大鹿のヤード跡に向かった。
 昨夜立寄った田島から大鹿までは林道の対岸を王滝本線が走っていた。軌道跡の田島から松原までは一応サイクリングロードとなってはいるものの、あまり整備はされていないようで、入口に「車両通行止め」と書いてある。(どんなサイクリングロードじゃ!)地図によれば、松原から崩沢までは一部道路になっているが、崩沢から大鹿までは山の中に軌道跡が消えて行く。
 我々は王滝集落から軌道跡対岸の林道を通って一気に大鹿へ向かった。松原の集落を過ぎると道幅も狭くなる。その先、大きく左にカーブすると鉄橋が見える。現役時代の写真にもよく登場する大鹿渕の鉄橋である。そのまま道路として再利用されていた。その橋を渡って大鹿のヤード跡へ車を進めた。大鹿のヤード跡は「氷ヶ瀬貯木場」となっていた。入口の門が閉ざされ、中の様子は金網越しにしか見えないが、線路は完全に撤去され、詰所らしき建物以外は森林鉄道時代の残影は無いようである。貯木場の門と鉄橋の間は王滝本線と鯎川線の跡である。両線のトンネル跡が残っている。本線と鯎川旧線の平面クロスがあったスペースも確認できる。そのクロスの先の旧線跡は5メートルも行かないうちに崖崩れで行く手を阻まれていた。その向こうにあったであろう新線のトンネル出口もまったく確認できない。

  画面中央が鯎川線(新線)、軽トラの所に本線のトンネル跡がある。

 地形図でも鯎川線の軌道跡は大鹿から先の数百メートルの間は何の印がなく、その上流部から突如軌道跡と推測できる点線が現れる。これまで鯎川線の廃線跡レポートが表舞台に出て来ないのも、導入部の崖崩れによるところが大きいはずである。
 次に氷ヶ瀬に向かった。橋を再び渡り、本線跡の林道を進む。切通を抜けるとすぐに貯木場があった。こちらにも「氷ヶ瀬貯木場」と書いてある。
 王滝本線が廃止され、鯎川線が残った後も本線の大鹿〜氷ヶ瀬間だけは運行し、氷ヶ瀬の貯木場で木材をトラックに積み替えていたという。
 貯木場のすぐ横に鯎川林道の入口があった。しかし入口はしっかりとゲートが設置され、施錠もされていた。ゲートの横も大きな岩が置いてありバイクも通れないようにしてある。やはりOutdoor誌の記事通り滝越から入るのが正解のようである。このゲート、平日は開いているかどうか分からないが、ゲート横には中で作業している業者が分かるように、業者名の書いた木札がぶら下がっていて、作業中の業者は札を裏向きにしているらしい。恐らく最後に出た業者が施錠するようになっているようだ。いずれにしても、今日はココから進入するのは不可能だ。滝越に向かおう。
 氷ヶ瀬から先は以前は王滝本線跡が林道になっていたが、長野県西部地震で発生した濁川の大規模土石流で大きく地形が変貌し、濁川と王滝川の合流地点付近は現在河川敷になっている部分の下に軌道跡が埋もれている。それに伴い、周辺の軌道跡も確認できなくなってしまった。
 かつて支線のあった濁川の上流部は削られた赤茶色の岩肌が露出し恐怖感すら覚える。濁川合流部から先は新しく出来た道だ。旧林道よりもかなり高い位置を通る。地形図等から推測すると旧濁川線の跡あたりに道が出来たようだ。坂道を緩やかに下り右にカーブすると下に橋が見えた。王滝本線の写真にもよく登場する下黒沢の橋梁だ。

  下黒沢橋梁。橋の向こうが下黒沢停車場跡。

 橋の上はコンクリートで舗装されていて車が通る事もできる。地震の土石流で堰き止められた川は堰止湖になり、水面からはたくさんの枯木が突き出ていて、神秘的な水の色と相まって上高地の大正池を彷彿させる。橋の下流側の軌道跡は幅がやや広くなっていて、かつて下黒沢停車場があったことを偲ばせる。ここからは濁川線が分岐していて、通ってきた道の方向へ延びていたはずだ。更に下流部へ進むと詰所跡らしきコンクリートの土台があった。その先は土砂崩れで車の通行は不能だ。車を降り徒歩で進んだ。土砂崩れの部分を越えるとトンネルがあった。向こうに出口が見える。足元と頭上を確かめながらトンネルを抜けてみた。出たところは再び土砂崩れで、その先の軌道跡は水没していた。引き返して下黒沢停車場跡に戻った。

団長「ここ、いいじゃん!次はここで野宿しようよ。」

 確かにいい場所であった。(次回以降のベースキャンプはここになる。)
※注意 この場所は上流の王滝ダムが放流すると水没する危険があるので、降雨時は必ず速やかに撤収して欲しい。当然、水道、トイレなし。飲料水の確保とキジ撃ちの作法を心得て、自己の責任において野営すべし。毎日、車で関西電力のパトロールがやってきます。

 下黒沢から滝越へ向かう。軌道跡がほぼそのまま林道になっている。橋の先、すぐのところに王滝隧道がある。中は2車線道路になっている。トンネル断面は拡張している。
 トンネルを抜けると落石除けの洞門が、今にも崩れそうに残っていた。さすがにこの部分は林道が逸れている。緩やかなカーブを何度か繰り返すとやがて滝越集落が現れる。

  洞門跡。自然に溶け込みつつある。
  滝越停車場跡。正面の建物が有名な平沢商店。

 林道事務所と、その向かいに「平沢商店」がある。ここに滝越停車場があった。この平沢商店はかつて「平沢デパート」と呼ばれ、昔からこの地で色々な物資を扱っていたと、木曽森林鉄道に関する本には必ず記載されている。今でも食品や雑貨などを扱い、王滝村最奥の商店である事に変わりない。(※現在、平沢商店は廃業したようです)
 集落の外れにある「水交園」に保存車両を見に行く。屋外展示だが車両の所だけ屋根が設置してある。木曽森林のDLや客車、やまばと号、運材台車、関電の雪かきロータリーなどが保存してあった。

  水交園の保存車両。部分的に手入れがされている。
  一番奥は関電の雪かき車。自走はできないらしい。

 水交園の前の道を南へ行くと、そのまま白川林道に入る。助六へ通ずる道は白川林道の奥に入口がある。
 王滝川を渡ったところを右折をして関西電力滝越発電所に寄り道をする。森林鉄道が廃止された後もダムの保守点検等の目的で軌道を借りて独自に列車を運行していた。その軌道跡を見に行く。細いダートの途中で白川線の跡と交差する。その先が関電の跡になる。発電所の周囲には軌道の痕跡は全く無かったが、白川線の鉄橋はレールが無いだけでほぼ原形を留めていた。

  白川線の鉄橋跡。林鉄廃止後は関電が利用していた。

 白川線跡は橋から南側は細いダート道となって残っていた。ふた筋の轍があるが、この車では入るのは厳しそうだ。白川林道まで戻り、南へ進む。右手にいくつかの建物がある。ここが白川製品事業所があったところで、現在でも何かに使用しているようだ。かつて白川線からは更にここまで側線が延びていた。
 林道を更にすすむ。ダートの割りに路面は良い。団長のスーパーインテグラ号は車体を揺らしながらも砂埃をあげて快調に走る。(と、言っても舗装道路でも車体が揺れるが…)

団長「大きなお世話だ!」
Tちゃん「そろそろ買換えた方がいいですよ。」
団「ここまで全く問題なく来ただろ。」
S藤「来たこたぁ来たけど、帰りは大丈夫でっか?」

 製品事業所跡の先、右手から白川線の跡と思われる怪しげな築堤が林道に接近し、吸い込まれるように合流したかと思った直後、客車の車体を発見!車は急停車した。…まだブレーキは大丈夫である。
 丸太でできたプラットホームのような土台の上に車体だけが置かれ倉庫として利用されていた。

  林道工事関連の倉庫。中にはヘルメットや標識類が置いてあった。
  ※1998.07.30訪問時に撤去確認

 森林鉄道のB型客車であった。それも側面の板が横向きに貼ってある、いわゆる助六タイプである。このタイプの車体は赤沢にも残っておらず、知っている範囲では習志野市の森林公園ぐらいではなかろうか?非常に貴重なものだ。
 この先は暫く軌道跡がほぼそのまま林道になっているようだ。道は少しづつ勾配を登りながら進む。初めはフラットなダートだったが、進むにつれて道が荒れてくる。しかし、ここは百戦錬磨のスーパーインテグラ号。サスはグニャグニャとオフ車のようにデコボコ道の衝撃を吸収する。

T「足回り、メチャクチャ弱ってますね。」
団「大丈夫だよ、まだまだ…」
S「まあ、滝越まで戻れば村営バスで何とか帰れるし…」
団「勝手に俺の車を壊すなよ!」

 暫く行くと左手に小屋があった。多分、このあたりが白川線の終点であろうが断定が難しい。ここから作業軌道が、どの様に延びていたのか、周囲を見回しても全く見当もつかない。そして、この先にいよいよ小俣林道の分岐があるはずだ。

(つづく…)

Tちゃん「ここで、つづく…ですか!?」


  

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