■フェスタへ行こう!(王滝の山から… 2010年秋)

1.重大会議
 賢明な軽探団のファンの方ならお気付きだと思うが『軽探団』は暫定で付けられた略称である。(だからどないなんや?って事なんですが…)そんな暫定略称を続けていて良いものであろうか?ふと頭を過ぎったのであった。と言うわけで、ついさっき『正式略称決定会議』を開くことを決めた。

Tちゃん「ついさっきって先輩、時々どうでもいいようなことで引っかかりますよね?」
S藤「何を言うか?ホームページの管理者としての責任感やないかい!重大なことや!」
Tち「先輩こそ何を言ってるんですか。いつも適当なことばかり書いて!この前、H君にふった屋久島レポートなんかヒドかったですよ。メールの羅列だったじゃないですか!」
S藤「あれはH君の屋久島レポートやんか。俺には関係あらへん!」
H君「Sさんが書けって言ったんじゃないですか!すぐ人のせいにして!」
Tち「そうですよ!あれのせいで次の北海道は写真だけで、レポートを送ってこなかったに違いありませんよ!」

 その後も、

S藤「●×□★!?…」
Tち「#♭☆▼?!…」
H君「♨◇〓↑??…」
団長「忙しい、忙しい」
S藤「●×□★!?…」
Tち「#♭☆▼?!…」
H君「♨◇〓↑??…」
団長「忙しい、忙しい」
S藤「!」

 と、白熱した議論が交わされ、ついに正式決定する運びとなったのである。

S藤「では発表します。ドロドロドロドロドロロドロ(ドラムロールの音)、決定『軽探団』!シャ〜〜ン!(シンバルクラッシュの音)」
H君「そのままじゃないですか!」
Tち「あっちゃ〜、『ゲリ便団』は落選か!」
S藤「当たり前じゃ!上の会話でも分かるように、他の候補に決定打が無かった。以上!」
H君「上の会話じゃ団長が忙しい事以外、分かりませんよ!2順目も同じ会話だし。」
Tち「ドラム、一回トチってるし、シンバルクラッシュのキレもないな!」
S藤「あんたこそ、どうでもいいようなことで引っかかっとるやないかい!」


2.事の始まり
 何やら「北の国から」の特番風の穏やかなサブタイトルの付いた、お気楽タイトルの割には冒頭から乱打戦の様相を呈した木曽第六弾ではあるが、正式略称も「軽探団」に落ち着き気分がのってきたところで、最近の私は次の休みを楽しく過ごすため、今日もバリバリと仕事をしている(つもり)のであった。まさに働き虫なのである(やや自慢気)。

H君「あんな事言ってますけど、雑記帖みてると、最近Sさん、あまり仕事しているように思えないんですよ。」
Tち「確かに。最近のトロッコの訪問日を追ってみると、いつ仕事してるのか分からんわな!」
H君「そうでしょ。絶対先輩仕事してないですよ!間違いなく月の半分は遊んでますね!」
S藤「喧しい!週休3日以上のペースで仕事しとるわい!」
H君「3日以上って、それ休み過ぎですよ!やっぱり半分くらい休んでるじゃないですか!」
S藤「…」
Tち「そう言えばオッサンも相変わらず『自称忙しい』なんだろうか?」
H君「オッサンの場合は今に始まった事じゃないですから…。実は僕も仕事で重大プロジェクトが発足しそうな気配なんですよ。発足すれば正月休みも危うい。」
S藤「皆、忙しいんやな…。」
Tち「あんたはヒマや!」

 そんな8月のある日、仕事のスケジュールを調整していると、10月11日は残念ながら仕事を休めないが9日、10日の2日間は休みになりそうなのが分かった。世間では3連休。たまには軽探団(あえて団名表記)の連中に声をかけて出掛けてみるか…、漠然とそんな事を考えていたら、同日、王滝村で森林鉄道フェスティバルが開催される事がわかり、久しぶりに「そうだフェスタへ行こう」(JR東海か!)と思った次第である。最終章から既に12年、王滝村はどう変貌したのか?1泊2日では奥地まで入るつもりはないが会場である松原あたりなら朝飯前だ。早速メールで連絡だ!その記念すべく連絡第一報は9月8日に発信されたのであった。

H君「第一報の発信だなんて、何か大袈裟ですね…」
S藤「何を言うか!12年ぶりの王滝村やぞ!」
Tち「そりゃあそうですけど、別に助六や坊主岩を目指すわけじゃないでしょ?」
S藤「確かに松原あたりじゃ、軽探団(ここもあえて団名表記)としては物足りんかも知れんが、動くんやぞ!酒井も岩崎も北陸も…」
Tち「でも8月から始まったこの構想も発信まで1ヶ月もかかってるじゃないですか!」
S藤「何事にもミスを許さない私は今回の企画を練りに練っていたんじゃ!」
H君「まあ、分かりましたから、そんなに興奮しないで下さいよ」

9月8日08時15分発信 件名「お誘いです」
「おはようございます。(中略)さて、突然ですが、来月の連休のご予定は如何でしょうか?実は10月9、10日と木曽の王滝村で「りんてつまつり」というイベントが開催されます。私は11日が仕事ですが、9、10日は休みが取れそうなので久しぶりに木曽へ行きたいと思っています。皆さん、よろしければ一緒にどうですか?9日出発の10日帰着。時間、宿泊未定。ウチの車(ETC装着、家族同伴なし)利用です。温泉オプションも用意。是非、秋の木曽路(しゃぶしゃぶじゃないぞ)へ」

Tち「またメールの羅列ですか?」
S藤「そんな手抜きはせえへんわ!」
Tち「企画を練ってる割には宿泊未定ですね!」
S藤「まあ、宿の手配は参加者が決まってからでええやろ。この企画と人徳からして全員参加は間違いないとは思っとるが…。」

(一部の苦情によりメールは省略させて頂きます)

 で、当日夜には返信が来た。さて、参加者は…?
 ガビーン(効果音が古い!)、H君だけ参加方向の保留で、あとは欠かい!
 そのH君も21日には「欠」方向へ方針変更の連絡が入った。
 ガビ〜ン

H君「だから効果音が古いですって!」
S藤「アホ!ビとンの間がーから〜に変化しとるやろが!」
H君「その違いは説明不要ですよ!どうせ行数稼ぎなんでしょ?」
S藤「…」

 まさか全滅とは…。困ったな、これじゃ道中ウカウカ眠ってられんな…。

H君「私の運転が目当てですか!」

3.前途多難?
 結局、前々日の7日にH君の欠が確定し、一人で木曽に行く事になった。ちょっと距離もあるし、天気予報も良くないので一気に気が重くなってしまった。団長と違い、緻密なプランが求められるH君の欠で、準備もプランも適当で良くなったが、さてどうしたものか…。

H君「練りに練った企画はどこ行ったんですか?」
S藤「いや、ま、そこは企業秘密じゃ!」
H君「まさか私に丸投げするつもりじゃなかったでしょうね?」
S藤「(ギクッ)…」
H君「こらあ〜!」

 8日の夜、職場の連中と焼鳥屋へ行ってしまい、9日朝は目覚めが重たかった。一応、出掛けると決めたので支度を始める。
 寝袋と非常食と水、アウトドア用コンロなどを適当に詰め込んだ。10時過ぎ、空模様が改善されないままようやく出発となった。宿の手配はしていない。
 「行ってきま〜す」の挨拶がてら、自宅から約4kmのH君の実家、15kmの団長の家、19kmのTちゃんの家、22kmの我等の母校の、それぞれ近くをかすめながら中央道へ向った。(別に特別ではなく普通の道のりですけどね…)インターまでは順調であったが、乗るとすぐに渋滞表示だ!…ったくもう!それでも藤野を過ぎたら車は流れていた。上り坂渋滞であった。眠気もなく、天気以外は問題ない。今日は王滝村近くの適当な所で車中泊に決めた。すると時間には余裕ができた。夕方、木曽福島あたりで夕食をとり、温泉に入るだけだ。あまり早く行っても仕方ないので、途中の諏訪南で高速を降りて八ヶ岳の復元トロッコを見に行くことにした。インターからも遠くない。
 見物後、再び中央道に戻り、塩尻へ。途中下車してみたものの、ETC割引で高速代は安い。塩尻から木曽までは国道19号で一本道だ。GSとコンビニに寄っても夕方4時頃には木曽福島に着いた。雨はあがらないが、まだ明るかったので森林鉄道の車両があるという未訪だった関山公園に行ってみた。しかし、探し方が悪いのか、撤去されてしまったのか?車両は見つけられず、続いて未訪の山林高校へも行ってみたが結果は同じで、いきなりの2連敗(スカ)だった。ま、想定内の結果であったので気を取り直して温泉へ。向かうは地元客が中心の二本木の湯だ。内湯だけの共同湯だが泉質は◎。このHPにはあまり関係ないので詳細は割愛するがオススメである。この後、夕食をはさみ、もう一軒温泉をハシゴして広間でのんびり休憩して旧三岳村にある道の駅三岳へ向かった。今夜はここで夜明かししよう。自販機やトイレもあるので安心感がある。道の駅には9時前に到着。既に夜明かし組の車が何台か停車していた。軒下にテントも2張りあった。同志が意外と多くて少し驚いた。疲れのせいか寝袋に入るとすぐに眠ってしまった。夜中に一度目が覚めた。雨が降っていたことは分かったが、またすぐに熟睡してしまった。
 

4.朝飯前の上松
 朝5時に携帯のアラームで目覚めた。雨は小降り、と思いきや激しくなった。寝袋の中でダラダラしていると空が少し明るくなってきたが、雨がやまないので朝食の支度は止めた。トイレで用を済ませて自販機で目覚め用のコーヒーを買って飲んだ。このまま会場まで行っても早過ぎるので上松方面へ向けて走り出した。道の駅のすぐ上が王滝本線の線路跡に出来た道路だった。道なりに行けば上松だ。まあ、木曽と言えば第一回下見(まだ引っ張るか!)が完璧だったので方向感覚は全く問題なし!ナビも地図も不要である。
 桟には製材関連の施設がいくつかあるが森林鉄道に関する物はレール製の柵くらいか。写真だけ撮って上松へ車を進める。
 有名な鬼淵鉄橋まで来た。通行は出来なくなっていたが、鉄橋自体は残っていた。上松では貯木場跡、ヘアピンカーブの線路跡や一段下の製材所関連施設を見た。残念ながら以前に紹介した謎の台車は無くなっていた。その後、19号線に出て寝覚の床へ行き2両のDLを確認し、近くのコンビニで朝食を済ませて再び上松市街地へ戻る。大沢橋梁を見て、そのまま小川線跡の道路を鬼淵方面へ走り、朝走って来た道を三岳方面へ戻る。
 三岳の林鉄公園で写真を撮っていると雨があがり空が明るくなり始めた。そろそろ王滝へ向かうとしよう。(上松、三岳のネタはまた別の機会に…)
 

5.昼飯前の王滝
 大島橋を渡ると間もなく王滝村へ入る。県製薬を過ぎたところで脇道に入って二子持の停車場跡にチョット寄り道をする。牧尾ダムに上るS字カーブの坂の直前、左側の細い道に車を進めた。ほぼ一直線の上り坂のドン詰まりが停車場跡で複線の線路跡がコンクリートの地面に残っている。停車場跡から上松側も田島側も線路跡は明確に残っているが普通の車で入るのはチョット厳しいか?以前にダム上の隧道からここまで車で抜けたことがあるが今は難しそうだ。停車場跡でUターンして元の道路に戻った。
  
 

 牧尾ダムのS字カーブを登る。以前より道幅が広がってカーブも緩やかになり走りやすくなった感がある。坂を登ってすぐ左手に隧道の坑口が残っていた。高さ制限3.2mの標識が掲示してあるが金網で出来た扉が閉じられ通行禁止になっている。
 
 

 道路はこの隧道から崩越まで王滝本線の線路跡を走る。崩越からは一旦瀬戸川線跡を辿り、瀬戸川林道の分岐から勾配を下り再び王滝本線跡に戻ると田島停車場は近い。天気はすっかり回復し空は快晴になった。眩しいくらいの青空が広がっている。
 田島には今でも林鉄時代の建造物が多く残っている。どの建物が林鉄関連のものか、この道の方なら案内が無くても嗅覚で感じるハズだ。かつての機関庫だった建物の横に車を停めて窓ガラスから中を覗いてみると、床に線路の跡がクッキリ残っていた。また機関庫の滝越側のコンクリートの地面にも線路が残っている。何度か来ているのに初めて気付いた。
  
 

 田島をあとにして橋を渡り王滝村の中心部に入った。鈴ヶ沢の貯木場(九蔵貯木場?)に寄ろうと思う。滝越へ向かう道から一段上の道に上がり御岳林道に入る。この道は王滝本線廃止後は滝越までのメインルートであったが今はほとんど使われていない。氷ヶ瀬から分岐する鈴ヶ沢線の終点がこの林道沿いにある九蔵貯木場あたりになると推測される。消防団の建物の前に熊捕りの仕掛けが並んでいた。王滝村では今年、熊騒動があってニュースでも報道された。この先で林道の路面が荒れ始めると貯木場跡だ。貯木場は林道の左右(上下)にあるが左手(下側)の貯木場跡に有蓋貨車が残っていたハズだ。目を凝らしながら超低速で車を進めたが草木に覆われて見つからない。諦めかけた帰り道、木々の間に「らしき物体」がチラッと見えた。車を降りて近付いて見ると間違いなく貨車だった。かなり草木が茂ってしまい自然に帰りつつあった。熊とヘビの恐怖感に怯えながら貨車に接近して素早く写真に収めて急いで車に戻った。
  
 

 御岳林道を下り、途中から松原方面へ短絡する脇道に入る。左右にカーブしながら坂を下ると滝越林道に出た。そろそろいい時間になっていたが、松原スポーツ公園に入口をパスして一気に滝越の水交園を目指した。天気が良くなったので何となく行ってみたくなったのである。大鹿、氷ヶ瀬、濁川、下黒沢、王滝隧道、景色は以前のままだったが、洞門は崩落防止のため崖ごとコンクリートで固められていた。関電の王滝川ダムの入口のカーブを過ぎれば滝越の集落が見えてくる。遠くに水交園の保存車両が朝日に照らされて鮮やかに浮かびあがっていた。集落に入っても人の姿がない。水交園の前に車を直付けした。水交園には営業準備をしているオバちゃんと野営明けと思われる兄ちゃんがいた。軽く挨拶を交わし、早速撮影開始。力強い朝日と空の青さと車両の色合いで鮮やかな写真が撮れた。車両もそこそこ手入れされているようで傷みは少ない。一通り見た後、近くの公民館に行ってみたが裏手の貨車の姿は無くなっていた。
  
 

 いよいよ滝越から松原へ向かうが、途中のポイントは押さえておきたい。団長イチ押しの王滝隧道近くの湧水は「緑露水」の看板が設置され、足場や湧出口が整備され水が汲み易くなっていた。
 
 

 隧道を抜けたところの有名ポイント下黒沢橋梁はそのままだったが、入口はロープが張られ車両の進入は不可になっている。近くに車を停めて徒歩で入ってみた。橋を渡った所が濁川線の分岐で下黒沢の停車場跡になる。現在はカヌー乗り場になっていて簡単な小屋と広場ができていたが、そのすぐ奥の軌道跡は藪に覆われ「熊注意」の看板が立っていて、徒歩で通れるくらいの幅の道しか延びていない。かつての我々の野営場はこの奥だ。この状況ではもう野営は困難のようだ。
  
 

 次に大鹿に寄り、ヤード跡の貯木場、鯎川線の分岐部、大鹿渕の橋とトンネルなどを流して新松原スポーツ公園へ。
   
 

 途中、池の越から崩沢経由で行こうと思い車を進めたが、軌道跡の手前で「私有地立入禁止」の立札で敢え無く撤退。正規ルートから会場へ入った。
 時計は既に11時近くなっていた。天気も回復したので会場内は結構な人出である。駐車場の車のナンバーを見ると全国各地から来場しているのがわかる。このフェスティバルの模様は後日、各誌でレポートされるであろうから、詳細はそちらに任せることにしてチャッチャっと見て回る。とは言え、やはり実際に動いている車両たちを見たら嬉しくなった。小一時間で帰るつもりであったが、関係者の無線機から「12時に運材列車運行」の声が聞こえた。12時まであと10分くらいなので待つことにした。陽当たりのいいポジションを探しカメラを構えた。シャッターをきるレンズの向うを運材列車が走りぬけた。やや速度が速く軽やかではあるが、やはり森林鉄道には運材列車が不可欠だ。この後は昼休みに入るとのことなので、ここで引き上げることにする。
  
  
  
  
       りんてつ倶楽部HP

 

6.昼飯食べに三岳
 丁度昼過ぎなので、旧三岳村にある、団長お気に入りのそば処『一竹』へ。ここはいつも混んでいるが、駐車場に車が入れば、まず大丈夫。ビールを飲んで長居する客がいなければ回転は早いので、そんなに待たずに入れる。今日は一人なので、すんなりテーブル席に案内された。いつもの天ざるで今回の仕上げとしたのだった。
 
 

※文中でも記しましたが、今年は熊の出没情報が多いようです。山に入る際は十分注意して下さい。特にバイクなどでの単独行動は危険です。熊対策を怠らないようにして下さい。

[調査日:2010.10.10]



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