最終章 鯎川再訪…

1.廃線跡の美学

 今までいくつかの廃線跡を歩いた。また、廃線跡ブームに乗って発刊された書籍などからもたくさんの廃線跡を見てきたが、鯎川線の廃線跡に勝るものはなかったように思う。にも関わらず鯎川線跡の紹介が一部のWEB上でしか発表されないのは非常に残念なことだと我々は感じるのである。やはり大鹿の導入部が崩落し、進入が困難であることに加え、地図上に存在しない鯎川線へのアプローチ。また鯎川林道の氷ヶ瀬ゲートや『通行禁止』の看板、何となく立ち入っちゃいけい、また公表しちゃいけないという妙なタブー感…。そんなのが複雑に絡み合っているのだと思う。
 さて、出だしが硬い雰囲気になってしまったが鯎川線の魅力にとりつかれた我々団長以下3名は2年後、再び鯎川線を訪れることになったのである。
 いつものように下黒沢をベースキャンプにして朝イチから助六谷へ入った。氷ヶ瀬から助六橋までの道のりは45分程度だった。林道から軌道跡への導入部は一昨年と変わりない。我々は鯎川線軌道跡に再び足を踏み入れた。

 
 助六製品事業所からオメガループ方面へ分岐する木橋もそのままだった。

 
 河川敷に降りてみると青空と雲と山の緑、岩と水、それぞれのコントラストが美しい。真夏でも水は冷たい。

 
 鯎川線にはとにかく木橋が多い。軌道を敷設するスペースがない部分ではコンクリートの土台に木の足場を組んで橋を作るケースがほとんど。地形に合わせて微妙にカーブしている。

 
 眼下に鯎川の流れを見ながら進む。流れの速さで水の色が変わる。流れの速いところの水は青白い。
 
 
 岩肌にへばり付くように続く軌道跡。地形に合わせて上手に敷設してあるのが分かる。

 
 流れが遅い淀みの部分は緑色になる。

 
 大きな沢では迂回するが、小さな沢は橋を架けて渡る。

 
 橋以外のところでは草木が多い。最近はあまり整備されていないように感じる。このトンネルの向うが中ノ沢橋梁だ。

 
 ここのスリル感は軌道跡随一。木製の手すりはグラグラ。高さはどのくらいあるのだろうか?

 
 中ノ沢鉄橋とトンネルのところだけ地形をトレースせずに一気に短絡する。実際に見るこの場所は地形のスケールが大きすぎて、トンネルの坑口や鉄橋は小さく見える。

 
 樽ヶ沢の流れは今も昔も何ら変わらないが、軌道跡の整備はあまりされていないようだ。特にこの付近は踏板が外れて危険な箇所が多かった。あまり人の通行がないのか?この先の樽ヶ沢〜坊主岩間が鯎川線軌道跡の最大の難所だ。
 今回も樽ヶ沢で引き返した。


 鯎川線上流部の帰り道、今度は下流部からも攻めてみた。氷ヶ瀬ゲートから約2km入ったあたりに林道から軌道跡へバイクでも渡れる堰ができていたのであった。以前から何か工事をしているな、とは思っていたが…。これは楽チン楽チン。これで鯎川林道からの急階段を上り下りしなくて済むようになった。軌道跡は落石意外はほぼフラット。あっと言う間に黒淵停車場跡だ。
 一旦バイクを降りて小俣線の橋を渡り、どこまで行けるか確認してみたが、林道からの降りてくる階段より先はレールは続いているがやはり歩行不能であった。

 
 確認困難な小俣線跡。資料によれば、ここから急な登りになり、小俣川の沿って軌道が敷設されていたという。

  
 黒淵から分岐する小俣線の橋。隣の橋台は旧線だろうか?

 
 黒淵停車場跡。小俣線はスイッチバックで右手前に分岐する。写真は左奥が坊主岩方向だ。

   
 黒淵の先に崖崩れの箇所があるが、注意しながら徒歩で乗り越えられる。ここでバイクを降り、徒歩で坊主岩を目指した。上流部のような景色は望めないが道は比較的フラットなので歩きやすい。対岸の鯎川林道が出来る前は真弓峠へ行くにも軌道がメインルートであった。途中、軌道跡から真弓峠へ向かう吊橋の跡があった。軌道時代の標識類なども、いくつか確認できた。途中に鯎川の流れから少し離れて、やや平地になっている箇所がある。多分、春萩越の作業側線、集材側線があったところと推測した。

 
 鯎川線が唯一鯎川を渡る大沢橋梁。ここから軌道跡は左岸を通る。はるか上を通る鯎川林道からも、この橋だけはかすかに確認できる。
 ここを過ぎると坊主岩はそう遠くないはずだが、軌道跡が整備されているのはここまでだった。この先は軌道跡に草木が多い。ゆっくり進めば歩行は可能だが、時間はかかりそうだ。今日の探索はここまでとした。目指す坊主岩は意外と遠い。日帰りで坊主岩を目指すなら下流から攻める方が良さそうだ。バイクやチャリなら更に快適。(氷ヶ瀬ゲートからもあまり登らない)

  

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