■偶然発見!未知の軌道を探れ!


 この軌道を訪れた頃、今とは違いトロッコに関する情報は極端に少なかった。鉄道誌にその存在が掲載されるのは稀で、例え載ったとしても場所や軌道名が伏せられたり、所在地が曖昧であったりと現物に近づくのは困難を極めた。私の場合、国鉄や私鉄から分岐している得体の知れない専用線や貨物線などを主に地形図を中心に調べていたので、地形図に載っている軌道は所在が判明するが、地形図に載らないような軌道は鉄道誌等に時々掲載される小さな記事が頼りであった。このような状況はレイルマガジンが発刊されるまで続いたのである。
 1980年の春休み、1歳年下の従兄弟と北陸旅行に出た。大垣夜行を乗り継ぎ、米原から北陸本線で福井。京福電鉄に乗り永平寺を観て金沢泊。翌日は兼六園を観て富山。地鉄で立山へ行き立山のYH泊。観光しながら何となくトロッコ風味を混ぜ込むパターンで、立山では砂防軌道を覗いたが当然のことながら積雪で軌道は全く見えずに敢無く撤退。再び地鉄に乗り魚津経由で東洋活性白土へ向かうのであった。が、実はここに最大の問題点が隠されていたのであった。それは…、東洋活性白土が何処にあるのか知らなかったのであった。で、地形図に怪しげな線路が記載されていた青海駅で下車してみたのである。
 駅の裏手に回ると専用線が見えた。しかし、立派なレールを使用した、しっかりとした鉄道であった。軌間1067mmの「電気化学」の貨物線である。あまり立派すぎて少しガッカリしながらも線路の周辺を歩いて出くわしたのが写真の軌道であった。貨物線と並行した踏切があり、細い軌道が電気化学の線路に沿ってヘロヘロと続いている。予想外の展開に時間を忘れて写真を撮った。ポイントやターンテーブルなどもあり、軌道は青海駅の貨物ホーム近くまで延びていた。途中で分岐した軌道は木造の倉庫のような建物の中に続いたりしている。どうなっているのか中を覗こうとしたが扉も開かず、窓もなく謎だった。多分小一時間ウロウロしていたと思う。軌道に関する情報は何も得られなかったが未知の軌道を発見したことは感動モノであった。そして実はこの偶然の発見が私のトロッコ巡りの始まりであったのである。
 翌年、トロッコ界屈指の書「知られざるナローたち」が発行されると、この軌道跡が小さい写真ながら紹介された。見覚えのある木の橋。この軌道名が「小野石灰工業青海工場人力軌道」ということが分かったが、軌道の詳細については不明のままであった。その後、トワイライトゾ〜ンUとレイルマガジン122でも紹介され、ようやく軌道の全体像が見えてきた。それにしても、かつて覗こうとした建物の中に台車が隠されていたとは驚きだった。また、本格的な専用線が出来たのにも関わらず、このヘロヘロ軌道が部分的に意外なほど残存しているというのも不可解である。今ではどうなっているのだろうか?

《データ》
■小野石灰工業青海工場人力軌道(青海軌道商会) [廃線]

◇新潟県西頸城郡青海町◇青海 歩5◇公道より終日可
◇軌間:609mm◇動力:人力◇敷設日:不明◇廃止日:不明
◇参考:知られざるナローたちp132(1978.06)・トワイライトゾ〜ンUp104-105(1993.01.08)・RM122p72(1993.07.30)
 

[調査日:1980.03.29]




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