■川崎の荷揚軌道跡を探れ!

 川崎の図書館で地元小学校で郷土史学習用で使うテキストを探っていると、地図中に東京電気(現東芝)の荷揚軌道が出て来ました。それがこの地図。「大正のころのようす」を地図化していました。

 

 地図の下が東京電気の工場で上が多摩川。地図の枠外、右下に川崎駅があります。線路の所には「荷揚用トロッコ」の表記。工場の跡地は現在、川崎で人気の商業施設「ラゾーナ川崎」になっています。

 そして、このテキストにはこんな写真もありました。何と荷揚用トロッコはナベトロ!一体何を運んでいたのか?機関車などの動力は見えませんが、繋がった姿から人力ではなさそうな感じがしますが…。背後は東京電気の工場。
 

 画質が悪いですが、1922年(大正11年)の地形図です。既に荷揚用トロッコがありました。軌道は工場の敷地内から多摩川沿いの道路を超えて河川敷まで延びています。左上に東京製綱があって怪しい線が河川敷まで。
 

 次に発見したのは1924年(大正13年)発行の「川崎市街全図」。今まで発見した資料では一番明確に軌道が記されています。明治製糖から延びる軌道のような線も気になるところ。
 

 1928年(昭和3年)の地形図にも記載があります。1922年と変化はありませんが、左側から南武線の支線が延びて来て線路が分岐している所が川崎河岸駅で末端は河川敷へ。
 

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 2004年11月、実際に廃線跡を探ってみました。

 廃線跡は当時から実在する女体神社と円真寺から容易に推定できます。まずは工場跡地です。工場の建物はありませんが、まだラゾーナ川崎もありません。中央のコンクリート部が軌道があった所のようで、テキストにも「コンクリートで固められている所からトロッコが出入りしていた」とあります。
 
 (写真@)

 同じ場所から背後を見ると道路があります。ここが廃線跡のようです。
 
 (写真A)

 工場跡地から歩くと公園にぶつかります。最初の地図では「マツダランプ」の工場がある場所です。この先は家屋が建って廃線跡(道路)が消滅。滑り台後ろの家あたりが線路跡と思われます。
 
 (写真B)

 最後は多摩川の土手から工場跡を臨みます。写真撮影を失念しましたが、背後には煉瓦製の堤防があって、丁度軌道があったと思われる部分が切れていて河川敷へ出られるようになっていました。
 
 (写真C)

 ここで気になったのは勾配です。多摩川の土手は意外と高さがあって軌道跡を辿る道路とは高低差がありました。で、最初の地図を良く見ると工場から出た軌道は最初の道路と立体交差しています。工場は明治43年(1910年)の大洪水で大きな被害に遭い、工場の敷地全体を土盛り(この土盛工事でもトロッコを使用)して高くした記録があるので、周囲の土地よりは高くなっていたようです。とは言え、工場から土手まで高架線だったというのも考え難く、軌道は一旦地面まで下りて土手も勾配となって超えていたと思われます。(あくまでも勝手な推定)もし勾配があったとなると、末端は巻揚機で道中は人力の可能性もあるかかも?推測ばかりで謎は全く解明できません。地図上に軌道の記載がある事というだけで何も痕跡はありませんでした。

 
 (赤破線が軌道跡、青丸数字は写真番号、青矢印は撮影方向)

 実は小学校に入る前、地図中左にある「富士見湯」のすぐ近くに住んでいました。軌道跡にある公園で何度も遊んだ事があります。ネタ元となったテキストを作成した小学校も母校です。なのでテキストは見たはずですが、当時はトロッコまでは興味が及ばない健全な鉄道少年でした。

 東京電気(後の東芝堀川町工場)は現在ではラゾーナ川崎となり、工場の面影も全くありませんが、軌道跡の様子は2004年当時とあまり変わっていないようです。荷揚用トロッコについては今後も調査を続行。新しい発見があれば随時修正いたします。(2020.12.01記)

《データ》
■東京電気荷揚軌道(仮称) [廃線跡]

◇神奈川県川崎市幸区堀川町〜幸町◇川崎 歩10

 

[探索日:2004.11.16]




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