■壁に掲げた一枚の絵を探れ


 初めて藤沢の町を歩いた。ブログで情報を頂いた街角軌道を探して白旗交差点を東西南北へ行ったり来たり…。あたりには新しいマンションに混じって古い建造物が随所に残る。お目当ての軌道の発見に少々手間取ってしまったが藤沢宿の古い建造物を見て結構楽しめた。そしてようやく白幡交差点バス停近くの事務所風建物横の通路のシャッター下の地面に僅かに顔を出したレールを発見できたのだった。
 建物は街角軌道に良く見られる老舗商店風ではなく、明らかに会社事務所の雰囲気を残していた。隣りはコインパーキングになっている。塀越しに覗いてみると軌道跡が確認できたので事務所風建物の呼鈴を押して取材をお願いした。
 出て来たご婦人はこの家の方ではなく、奥にいる家の方に来意を伝えに行った。暫くしてOKを頂き横の扉から軌道跡のある通路へ。
 シャッター下から始まる軌道は、ほぼ全線に渡ってコンクリート埋められてしまっていたが痕跡は明確に残っていた。事務所横の地面は僅かに石畳も残る。コンクリートで埋める以前の通路は石畳だったのだろうか。軌道は若干曲がっているが、ほぼ一直線で奥へ延びている。距離は目測で約30メートル。軌間は610mmであった。
 事務所跡の壁に「日本製麥茅ヶ崎工場」と記された一枚の絵が掲げられていたので穀物系の会社と関連があるのでは?と推定したが、家人とお話しが出来ず軌道の詳細は分からず仕舞いであった。
 探索後、ブログ軽探団にこの軌道跡の情報を頂いた。それによると…、1895年(明治28年)田中飼料として創業。その後、1917年(大正6年)相模製粉合名会社として工場を竣工させて創業。1954年(昭和29年)には事務所の絵画にあった茅ヶ崎工場を竣工させ、この地の工場は廃止されたという。この軌道の稼動期間は不明であるが、関東大震災被害での改修直後には軌道が確認されているとの事なので1923年(大正12年)以前から茅ヶ崎へ移った1954年(昭和29年)までと推測される。
 再開発が進む東京近郊に僅かな痕跡を残す軌道跡…、まさに奇跡である。帰宅後、写真を確認すると軌道のすぐ横に下水道を通した痕跡が見られた。街角軌道と下水道敷設は難しい関係にある。というのも下水道敷設を機にスペース確保の為に軌道が撤去されてしまうケースが多いのである。幸いここは通路の幅が広く、軌道横に下水道を設けるスペースがあり撤去されずに済んだようである。
 この軌道跡をアップするにあたり名称を何にしようか迷ったが、現在の事務所跡の表札に「田中」と記されていたので創業当初の田中飼料とした。単純な軌道跡でありながら何か奥深さを感じる軌道跡であった。

《データ》
■田中飼料(日本製麦藤沢工場) [廃線]

◇神奈川県藤沢市藤沢2-8◇藤沢本町 歩5
◇残存区間:敷地内◇残存距離:0.033km◇軌間:610mm◇敷設日:不明◇廃止日:1954年
※この軌道に関する情報は関鉄RFC会長様より頂きました。ありがとうございました。
 

[探索日:2012.03.03]




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