■砂利トロ残影?コンクリート工場を探れ!


 1989年12月、下河原貨物線跡を訪れたが調査の主目的は終点近くのコンクリート工場だった。砂利採取から発展した工場に砂利トロの名残りはないか?が目的である。南武線の府中本町〜分倍河原間のオーバークロス地点あたりから線路跡の道を南下し競馬場分岐や駅跡を見て下河原線の終点と思われるあたりまで来た。近くにはコンクリート工場の資材置場があり何に使うのか良く分からない沢山の機材が転がっている。コンクリート工場の反対側は多摩川だ。その昔、土手の向うに砂利トロッコが延びていたはずだが、果たして今はどうなっているのか?
 細い道を資材置場横の中に何かトロッコらきしものはないか慎重に探りながら抜けて多摩川の土手に出た。土手下の道路には歩道が無くダンプカーなどの大型車が引っ切り無しに通り危険な為、仕方なく土手上のサイクリングロードに上がった。するとコンクリート工場内が見渡せるようになった。良く見るとコンクリート製品の隙間から軌道らしきものが見える。急いで工場の門の前まで進み、土手を降りて道路を渡る。ここからは軌道がはっきり見えたが軌道は使われていないように見える。とりあえず事務所で工場内の立入りと軌道の写真撮影の許可を貰った。事務所の女性は忙しそうだったが、工場内は意外と静かであった。
 工場内には何本かの軌道が延びていたが一部を除いて使用されていないようだった。コンクリートで埋められてしまっている部分もある。軌間は610mmであるが、レール自体は太くしっかりしていて、トロッコ特有のヘロヘロ感は全くない。所々にかなり頑丈そうな構造の鋼製台車がある。中には珍しい3軸台車まである。コンクリートや鉄製の型枠などを乗せて運ぶ為であろう。構内に機関車の類は無かった。重さからして人力では無理があるようなので、フォークリフトなどで移動しているようだった。残念ながら見学中はトロッコが稼動している姿は見られなかった。20〜30分で一通りの撮影が終えたので工場をあとにした。
 再び土手に上り是政方面へ向かった。すると工場の東側に渋い木造の建物があり、こちらにも軌道が見える。コンクリート工場と関連がある建物のように思えるが誰もいないので中には入れず、後日また来ようと思い家路についた。
 しばらくして再訪するとコンクリート工場共々無くなっていた。あまりにあっさり消えてしまったので記憶違いか?と感じたほどだったが、いくら先に進んでもコンクリート工場は現れなかった…。
 尚、下河原付近ではかつて「田村石材工業」という会社が砂利採取をしており、下河原線から分岐した引込線が存在していたらしい。そして、「加藤製作所の機関車」(いさみやロコワークス刊)に、DL(28968番・昭和28年11月落成・8t・軌間610mm)の田村石材工業鰍フ納入記録があるが是政でも砂利採取していたようで関連は不明である。

《データ》
■オリエンタルプレコン [工場軌道]

◇東京都府中市南町5-38-3◇中河原 歩20
◇区間:工場内◇軌間:610mm◇動力:フォークリフト?◇敷設日:不明◇廃止日:1990年頃


 

[調査日:1989.12.01]


  

 



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