■山奥の粘土鉱山を探れ


 日本粘土鉱業岩手鉱業所というよりも名目入と言った方が通りがいいかも知れない。この山奥の軌道にトロッコマニアを集めたのはマスコット的存在だった北陸製の小型DLによるところが大きい。軌間508mmの軌道では圧倒的にBLが多く、DLを使用する例は意外と少ない。しかし、この軌道の魅力はDLだけではなかった。
 私がこの軌道を訪れたのは1983年の夏休みで、T道研Q会の合宿と称したお遊び旅行の途中であった。東北の周遊券を利用し前夜岩泉に宿泊した後、仲間ら数名と共にバスに乗って現地へ向かった。当時は現在のようにインターネットなど普及しておらず情報が乏しかったが、全国版の時刻表にバスの時刻が掲載されていたのと、途中に名目入というバス停があるのが分かっていたので目指してみたのだった。しかも前日、バスの運賃表に
「名目入」のひとつ葛巻寄りのバス停が「鉱業所前」という停留所名だったのをチェックしておいたので、所在地についてはかなり精度の高い探索となった。イマイチはっきりしないのは「名目入」から「鉱業所前」の距離だけだった。バスの本数はあまり多くなく、現地滞在時間は1便後のバスまでの約2時間の予定である。
 とりあえず現地へ行くと事前調査の通りすぐに鉱業所に辿り着くことができた。鉱業所内に入り関係者らしき人に断るとすぐにOKが出た。教えられた通り進むと山の斜面に大きな木造の選鉱場がそびえ立っていて、そのすぐ横の坂に軌道が見えた。事前調査では比較的平坦な軌道をイメージしていたが、いきなり現れた軌道は強力な急勾配である。鉱車をワイヤーで上下させるようになっているが、あまり頻繁には稼動していないようだった。軌道横の通路を登る。所々線路が枝分かれし、その支線には木造鉱車が停まっていた。
 坂を登り切ると選鉱場の上部で平坦になっていて軌道が敷設してあった。例のDLが活躍するのはこの軌道部だ。軌道は坑口、土場、選鉱場、ズリ捨て場を結んでいる。ここで見かける鉱車は全て鋼製片開きのタイプだった。他には坑木用の木製台車が2輌だけだった。機関車は北陸の5t機の他にはシートが掛けられたニチユの2tBL、庫の中に埃のかぶった日車のUDLを見かけたが使用しているのは北陸だけのようだ。
 土場付近で写真を撮っていると北陸が単機でやってきて、鉱車を連結するとすぐに選鉱場へ向けて走っていった。滞在中に機関車が動いたのはこの時だけであったが、実際に動いている姿を見ることができて良かった。坑口からズリ捨て場まで一通り見学するとバスの時間が近付いている。あっという間の楽しいひと時であった。坂道を選鉱場の下まで降りた。すると同行のI氏が放置されて地面に落ちている状態の1メートルほどの錆びたレールを発見。最後に事務所での挨拶の際、鉱業所案内を入手した。
 入手した鉱業所案内によると、1931年石炭採掘開始、1938年粘土採掘開始、1954年倒産、1955年操業再開。経営も東北鉄道鉱業という鉄道敷設を目的とした会社から始まり岩手炭礦鉄道(1936.01)、日鉄鉱業委託(1946)、岩手窯業鉱山(1948.03)、日本粘土鉱業(1955.08)と変化している。車輌は、機関車:1.5tBL1台、2tBL6台、4tBL2、4tDL2台。ローダー:大空650型斜坑用1台、600B型6台。鉱車:1.2㎥鉄製片開ダンプカー170輌と記されていた。
 探索後、名目入からバスに乗って盛岡駅へ向かうI氏の手には錆びたレールが握り締められていた。I氏は帰り際、事務所でお願いして入手に成功したのだった。盛岡駅に到着すると急いで近くの日通の営業所へ駆け込み、その場で梱包し送料を値切って自宅へ送った通称「名目入レール事件」(当時現場では大爆笑)は今でも仲間内では語り草である。
 この鉱業所はその後小川炭鉱、石見鉱山、三井金属資源開発と経営が代わった。軌道は1996年の坑内掘り休止に伴い廃止し、現在では鉱山自体も閉山している。

《データ》
■日本粘土鉱業 岩手鉱業所 [現存]

◇岩手県下閉伊郡岩泉町大字門字名目入67-1◇盛岡 バス120(名目入)→歩10
◇区間:鉱業所内◇距離:不明◇軌間:508mm◇動力:内燃・蓄電池・巻索
◇敷設年:不明◇廃止年:1996年
 

《訪問時の機関車のデータ》
◇01:日本粘土鉱業岩手鉱業所 2 DL(北陸重機 1975年7月/B型 5t 508mm)
◇02:日本粘土鉱業岩手鉱業所 BL(日本輸送機械 1966年/B型 2t 508mm)
◇03:日本粘土鉱業岩手鉱業所 DL(日本車両 1964.10 2344番 UDL型/B型 508mm)※鉱業所案内記載のものだと4tか?

 
   
  
  
  
  

[探索日:1983.09.03]




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