■窪地の底を探れ!

釧路市内の廃鉱01


 初めて釧路を訪れたのは高校2年生の夏休みだった。私と同年代の方なら多分私と同じように「北海道ワイド」を学割で買って料金のかからない急行や鈍行の夜行列車を駆使して安く旅行をした経験があるだろう。この時は上野駅から夜行を乗り継いで、太平洋炭鉱を訪問する目的で真っ先に釧路へ向かった。釧路駅からはバスを利用したが春採までの路線がいくつかあって、良くわからないまま適当に乗ったバスが偶然にも東釧路経由で途中から釧路臨港鉄道に沿って進んでラッキーだった。春採駅の近くでバスを降り、長い運炭列車を見て、駅横の坂道を登りようやく念願の太平洋炭鉱専用軌道のノッポELを会えたのである。1980年7月のことだった。
 1986年3月、流氷を見るため冬の北海道を訪れた際、再び同じルートを辿り同じようにノッポELに会った。しかし今回は以前から気になっていた地形図に記載されている、坑口から延びるV字型の短い鉱山軌道のマークの正体を知りたくて凍った道を益浦4丁目方面へ足を延ばしてみたのだった。場所は現在でも稼動している興津坑の東、約1kmの地点で、春採からは桜ヶ岡を経て約3kmの道程だ。益浦の住宅街が途切れた先に目的地はあった。
 近づくと鉱山施設らしきものは無かったが、窪地の底に坑口と軌道らしき部分が見えた。道など無く、雪でぬかるんだ斜面を慎重に降りて近づいてみた。
 軌道がある部分はほんの僅かで、道床部はあるものの、カーブしたレールは途中で途切れていた。レールは無いが、道床部は明確に残存していたので、その先でスイッチバックして坑口に向かう構造になっている事が読み取れる。坑口は斜坑で急勾配で地中へ続いている。坑口付近は吹き溜まりになっていて雪が深く接近できなかったが、僅かに見える鉄格子で塞がれた坑内部にはレールが確認できた。
 場所柄、太平洋炭鉱関連の施設跡と推測するのが妥当であろうが、ここが何の施設なのかは全く不明であった。レールが太いので狭く見えるが残存する地上の軌道も軌間は762mmであり、太平洋炭鉱の一般的な軌道とは幅が異なっていたのが推測を惑わせた。また、益浦には通気用の坑口があったという情報もあるので、もしかしたらここがその施設だったのかも知れない。
 最近になって、この場所を衛星写真で確認してみたが、坑口や軌道跡らしきものは見えず、草木が茂っているだけだった。既に撤去されてしまったか?それとも今でも草木の下に…?

※最近になってあるHPに1978年4月の太平洋炭鉱益浦坑の様子を発見し、坑口、線路配置がほぼ合致しました。

《データ》
■太平洋炭鉱益浦坑跡 [廃線]

◇北海道釧路市益浦4-3付近◇釧路 バス
◇残存区間:鉱山跡◇距離:約0.03km(坑外部)◇軌間:762mm◇動力:不明◇敷設日:不明◇廃止日:不明
◇参考資料:地形図1/50000『釧路』昭和50年7月30日発行(大正11年測量・昭和45年編集・昭和48年修正)
 

釧路市内の廃鉱03


 

[調査日:1986.03.24]


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